今年の5月連休の開催でホントに最後になってしまう野外コンサート「春一番」。途中、空白期間はあるものの、1971年に第1回「春一番」を天王寺公園の野外音楽堂でスタートさせて、2024年に亡くなるまで続けた福岡風太。その「春一番」の半世紀、福岡風太発言の記録を当時のままに再編。 ◉推薦文=中川五郎(フォークシンガー・翻訳家)
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自由っていうのは失うものがなにもないことさ
福岡 風太 著 |
A5変形判 276ページ 並製 |
定価
(本体2,000円+税) |
ISBN978-4-86249-468-9 |
2025年 5月 刊行 |
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目次
はじめに……福岡 嵐
前編 乾いた街に風が吹きはじめた
例によって例のごとく“音楽とは?”/「THE NEW MORNING」/ ディラン・アッピーハウス・エスエス・サブ、そして三木楽器四階ホールまで/ ボクは素敵な奴が誰だか知らない/「春一番」に関する風太のひとりごと/ 「表現者 春一番・福岡風太」/ボクの思いあがりと、君の思いあがりに!/ 満足できるかな‼/「風太の日記 1975年5月19日/「実録!
春一番物語」序ノ章/ 座談会「今、ぼくらをとりまく関西の音楽─現場のプロデューサー達が語る」
(福岡風太・阿部登・池田淳・吉見隆)/春一通信〈1979〉/ボクの夕焼けハッパ焼け/対談 もっと気軽に行こうや(糸川燿史・福岡風太)/トーク「最後の春一番この10年」ほか
後編 復活春一番
もうひき返さない/我が子・嵐に旅の話をしてあげよう/ 何もかんも手作りからコンサートははじまった/「春一番」、16年ぶりに大阪で開催/LIFE
GOES ON/ オレらのやり方はもっとストレートで、もっとピュアやったはずや/ 対談「舞台監督という職業、生き方」(金一浩司・福岡風太)/ 座談会
復活春一番10年「春一番という生き様」(福岡風太・阿部登・鏡孝彦)/ 「ヒストリー・オブ・春一番」/60年代末、終わりの始まり/ほか
あとがき……古賀 正恭・村元 武
前書きなど
1970年、黒テント大阪公演からの、長きにわたって風太の近くにいた村元さんがセレクトした、福岡風太が書いた、また福岡風太のことを書いた各時代の文章が集まったこの本を読んでみると、各人その表現はバラバラだが、そのバラバラさがむしろ、福岡風太、という人をよく表していると感じる。若気の至り、で始めた「コンサート」というものを、70才過ぎてまで続けた男、といえばそれまでだが、多くのミュージシャン、私も含めて多くのスタッフたち、そしてなによりも多くの観客が彼の元にあつまってきた、その理由を少しでも共有できれば、福岡風太の自伝の代わりになるのではないだろうか。できれば、あのマチガイだらけの手書きの原稿も見てもらいたかったぐらいだ。もっとも、風太自身は恐らく、オレの知ったことか、とは言うだろうけど。………………古賀正恭・あとがきより
版元から一言
面白いこと、好きなことをやって、楽しんで生きるのがいちばん。だからほんものとにせものとを聞き分け、ほんとうか嘘かをしっかりと見抜く。ひとりで上に駆け昇ることなど考えず、いつも仲間と一緒に水平に広がり続けた。歌と共に生きた風太の一生はとことんラブ&ピース‼︎………………………………………………中川五郎・推薦文 |
福岡 風太 (フクオカ フウタ) (著)
1948年4月24日生まれ、2024年6月10日没1970年「BE-IN LOVE-ROCK」(天王寺野外音楽堂)の野外コンサートを皮切りに経験を重ね、1971年、同じ天王寺野外音楽堂で第一回「春一番」を開催。1979年に一度幕を下ろすが、1995年、大阪城野外音楽堂で復活、1996年に会場を服部緑地野外音楽堂に移し、亡くなる2024年の開催まで主催する。
舞台監督(ペギー葉山、忌野清志郎 with Booker T.&MGs、江口洋介、中村あゆみなど)、コンサートやイベントのプロデュース、ロードマネージャー(センチメンタル・シティ・ロマンス、ハンバート
ハンバート)としても日本全国で活躍した。 |
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